雑記帳


2005年
0710
こちらへなかなか書けませんのでブログを使ってみることにします。→ コチラ
実は昨年の秋頃から書いていたのですが、誤って全部消してしまいました。。。6月から書いているものを公開します。
また違うブログにうつるかもしれませんので ブックマークはTOPページの方がよいです。
今のところ、TOPページでつぶやいていることの 過去ログ帳 にしようと考えていますが、
たまに違うことも書いています。(なんて気まぐれ)



0115
吉野の森倶楽部・新年会。今年は岡崎の「白河院」で開きました。
建築物(表門と和館が現存)が武田五一設計、庭園は小川治兵衛作です。(あいにくの雨でお庭の写真が撮れませんでした。)


吉野の森倶楽部のこと、、、吉野センセイのこと

ほんとうに、はじめは吉野先生の門下生ばかりでしたのに、ゆるゆると輪がつながり、今年もまた新しい木が増えて森が広がっています。


0110
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
毎年なのですが、、、ご縁のありがたさをしみじみと感じました。
「おかげさまで、、」、、、いやはや歳を重ねるということはすばらしいですね。
淀看席
初釜。西翁院、淀看席(ヨドミノセキ)にて。
<藤村庸軒好み。1帖の点前畳と2帖の客畳の間に小壁があり太鼓張りの襖を仕込んだ宗貞囲いの席。点前席の窓から遠く淀を見渡せる。茶室へのアプローチも地面の高低差を利用していておもしろい。建立:江戸時代初期。重要文化財。>

点前席の窓から遠く淀を見渡せることから<ヨドミノセキ>
現在はその方角に京都駅ビルが建つ。
空気の澄んだ日には遠く大阪京橋の高層ビル群が見えるらしい。


2004年
0827 大山崎山荘美術館にて
久しぶりに行きました。アプローチが少し変わっていて、緑の中をゆるゆると登る坂道はそれだけでもう夏休み気分になります。(前に来たときはまだ工事途中でしたから そうとう前ってことですね)

睡蓮2004 森 ヲ アツメル 〜山荘で過ごす夏 北尾博史展〜
  硬い鉄からなる木の葉と小さな足跡、虫喰い跡、、、
  北極星、カシオペア、北斗七星をかた作る木の葉  りんごの虫喰い穴から覗く星座たち
  木の葉に映る人、渦巻き、三日月
展示物は作品が落とす陰だと気づく  自然光のうつろい。
睡蓮の部屋、枝垂れ柳の影をが落ちる 影とは違う造形の鉄物  極小のビスと節の溶接  モネの庭
展示室を行きつ戻りつ新しい発見、 夏休みの森の探検
庭へ出てみて、、水音が心地よく散策まですべてがセッティングされた展覧会だったと気づきました。
この季節に開催されたのもすべて。まんまと術中にはまったカンジ。

帰りの坂道にて 道の真ん中に展示物が、と近づくと本物の木の枝でした。

0517-20 法事・お墓参りも兼ねて鹿児島へ
屋久島まで足を伸ばしました。調べていたとおり雨続き。(ひとつき、35日雨が降るといわれている)
肌にまとわりつく湿気はイメージする南の島とは別のもの。島のほとんどを埋め尽くす森がとても気持ちよさそうに雨をたくわえ精気みなぎる。もののけ姫の舞台というのもうなずけます。
残念ながら今年の早い台風にぶつかってしまい深い森へは入れず。でもそんな簡単には近づけないところがよいと思います。自然の畏れを感じます。また行ってみたいところが増えました。

 見えますか?杉の倒木に小さな杉が芽生えています。矢印旗はつまようじ。
メモ・おいしい寿司屋「いその香り」屋久町安房

0309
なかなかまとまった時間がとれないので、夜中に少しずつPCをさわってましたらとうとうやってしまいました。メールアドレスとか今までのデータがなくなってしまいました。ほんとは友人に来てもらってからバージョンアップするはずだったのに…待てばよかった…。(手料理のハンバーグを準備して待つはずだったのですが、決して準備するのがいやだったわけではありませんよー。エセベジタリアンですけどね。)
コイデの友人・知り合いの方へ アドレスを知らせてやってもよいという方はメールをください。事務所でもプライベートの方でもどちらでもかまいません。

0110
明けてしまいました。すっかり。
昨年秋〜年末にかけて、あれこれ書こうと思いながらネタをくるだけで結局書けませんでした。文章を書くってすごく大変なことなんです。女技会ニュースや新建ニュースの編集後記を書くだけでも必死なのに…。
それでも、やはり思うことはあるので、少しずつ残していきたいと思います。
昨年は大切な人を亡くした年でした。ますます人との出会いに感謝し、大事にしていきたいと思う年明けでした。

2003年
0815
いつもこの日は暑かった。今年はとっても涼しいね。あの日はとても暑かったらしいが、産まれてないから知らない。子供の頃からこの日はもっと厳粛なナニカ心に誓う日と感じているけれど、年を経るごとにわたしたちの記憶から薄れていっているような気がする。日々の生活に追われても忘れてはいけない体験していない記憶。

吉野センセイのこと
先生は3つの大学で教えてこられたので、その世代ごとに先生の印象はまったく異なります。わたくしよりも上の世代の方々は建築論を熱く交わしていたと言ってましたし、下の方は暮らしについておしゃべりするのが楽しみだったと言ってました。
わたくしたちの時は?熱い目をキラキラさせながらも静かにおだやかに、興味の方向は建築から暮し方、文化論の方へ移りつつある時だったのかなと思います。
若い時は映画が好きで、議論に明け暮れ、建築学生の運動に取り組んでいたそうです。
大学へは鴨川べりを歩いて通勤しておられました。1時間くらいはかかっていたのでしょうか。
その暮らしぶり――休日は朝早く起きて読書、その後掃除や片付け等をして午後はラジオ、読書を楽しむ。犬の散歩と庭の手入れは日課。(ニワトリが7羽いました) 小さなカメラを片手に自転車で方々へ散策。
シンプルライフが信条。贅沢なことはしないけれど暮らしの楽しみは忘れない。
とってもおしゃれでシャイ。目立つことはイヤ。
ほんとうにわたくしたちの暮らしに必要なものはなにか、その生き方からいつも問われていたように感じました。
人の存在が自然と共存していくこと、わたくしの存在がなるべく負荷にならないようにということを意識するようになったのは先生と過ごす時間が増えてからです。
まだたくさんの研究テーマを残して逝ってしまいました。

0117
今年も、またこの日がくる。きっと、ずっと忘れない日。8年たつんだね。
事務所の開業日もこのサイトをアップした日も今日にした。
(ほんとは前の年から少しずつお仕事してたんだけどねー)絶対忘れないと思ったから。
友だちの中にもまだあの時のことを思うとドキドキして苦しくなると言う。ほんとにそうだ。きっと忘れない。

0108
今年初めてカブを動かしました。生き物と同じでちょっとかまってやらないとだめですね。もう動くようになるまで四苦八苦。エンジンオイルも替えてちょっと機嫌が直りました。で、どこへ行ったのかというと、大学の先輩でもある久世の珈琲豆屋さんのところです。(ぜんぜんツーリングに行ってないじゃん!すみません。軟弱で…)
珈琲を飲みながらおしゃべり。ほんとうにパワフルな女性であこがれの人でもあります。
先輩とは学生時代は重なっていないのですが恩師が同じという縁でおつきあいがはじまりました。
恩師は吉野正治先生です。
そろそろ「吉野の森倶楽部」新年会の時期になります。
吉野先生は3つの大学で教えてこられ、それぞれの大学のゼミ卒業生たちで交流の輪を広げるために新年会で集まるようになりました。
1つめの大学は建築学科でその卒業生たちは建築や都市計画の分野に就いている人が多くいます。森にたとえてみれば少数樹種の針葉樹の森。
2つめは生活科学部住居学科で建築以外にも住宅メーカーやインテリア、家具、その他多種多彩な人の暮らしに関連する仕事に就いている人が多く、多様な樹種の広葉樹の森。
そして3つめは社会学部、まさにキノコや山菜もあるおもしろい豊かな混交の森に…のはずでした。
しかし残念なことに先生に見届けてもらうことはできなくなってしまいました。

この森に集うことで、いろいろな方に出会い交流の輪を広げ吉野先生の遺志を継ぐゆたかな森になっていきたいという思いで「吉野の森倶楽部」を続けています。
その後、先生の研究分野が広く多様であったことを象徴するかのごとく、年代もばらばら、学校の枠を超え、先生に関係のあるなしに関わらず輪が広がっています。
もうすぐです。 
吉野先生のことを書かないと、知らない人にはなんのことかわかりませんね。
わたくしの生き方の価値観に大きく影響を与えた方でした。
大学のときは遊んでばかりいたので、先生の偉大さに気づくこともなく目がさめるのは卒業して2年もたった頃。
<この話はつづく>

2002年

れんが郡 京都・四条通りから細い路地を上がっていくと
ある会社の工場群があらわれます。
きれいな赤レンガづくり。
公開されていないので何棟あるのかわかりませんが奥にもたくさんありそうです。

棟飾りのところに思い切り和瓦が使ってあるのもりますし、おそらく御影石とかではないかなと思うものもあります。
飾りのないものもありますからそのときある材料で修繕していったのかなぁなどと考えると楽しいです。
公開されていないので、ここの会社の方にはおおっぴらに公表はしないでくれと言われましたが、この角度は外から見えているのでいいですよね…?

カブのツーリングはまだ行ってません・・・
自転車での行動範囲が広がるばかりで、1時間程度はあたりまえの距離になってしまった。
ついこの前、自転車マップをつくるための調査というのに参加して
ご近所なのに知らなかったところを ぐるぐる回ってきました。
梅津の高田町という辺りがよかったです。昔の蔵や集会所があり田舎の風情。
すぐ近くを四条通りが走っているのにこんなところがあったなんて。

穂高の碌山美術館をご存知ですか?
恥ずかしながら わたくしは全然知らなくて、安曇野ちひろ美術館のかえりに連れて行ってもらいました。
碌山の作品や展示館も もちろんよかったのですが
わたくしの目を釘付けにしたのは 隣に建つ売店兼休憩小屋のような建物です。

グズベリーハウスという名前でした。(ラズベリーだったか?と自信がなかったので書かなかったのです。)
枕木を使った校倉造り石葺き屋根の建物です。
「チルチンびと」の22号に載ってます。と教えていただきました。ありがとうございます。
中はあとからトラスを組んで補強したような感じです。(残念なことにその写真がうまく写っていないのでお見せできません。)
グズベリーハウス

木彫りの窓
屋根にはごろごろとした石が並ぶ
いつ頃建てられたものなのか
誰がデザインしたものなのか
わかりませんでした

トカゲの取手 右のドアについている取手
「チルチンびと」にはドアノブのページに載っています。鍛冶屋だった富田実氏の作品だそうです。
ほかにもキツツキのドアノッカーや天使のドアノブが載っています。笹村草家人氏の作品。
鉄素材がとてもあたたかい表情をみせています。
碌山美術館
長野県南安曇郡穂高町
 碌山美術館は、日本の近代彫刻の扉を開いた荻原守衛(号 碌山)の作品を永久に保存し一般に公開するために昭和33年、29万9100余人の力によって誕生しましました。
 また、碌山と関係の深い優れた一群の芸術家たちの作品を併せて蒐集保存し、日本近代彫刻の流れと展開を見ることができます。(リーフレットより)
敷地内には、レンガ造りの本館、第1・2展示棟があり、作品が展示されています。 それと売店兼休憩小屋があります。
 碌山・荻原守衛は明治12年(1879)、穂高村矢原の農家に生まれ、はじめ画家を志しましたたが、ロダンの「考える人」に衝撃を受け、彫刻の道に進みました。
 ロダンに直接指導を受け、高村光太郎とも親交がありました。
 明治43年、「四月の夜ふけに肺がやぶけた 新宿中村屋の奥の壁をまつ赤にして」(高村光太郎「荻原守衛」)世を去りました。30歳でした。

普段は自転車で走り回っています。
京都は狭いまちなので多少南北で坂になっているとはいっても、ちょっと頑張ればどこへでも行けてしまいます。渋滞もないし細い道もへっちゃらです。歩道は歩く人の邪魔になるので、なるべく車道を走っていますが結構危ないときもあります。少し怖いです。(やはり道交法上は車道なんでしょうか?)

何が良いって、あのスピード感です。歩く人よりは早いし、気になるものがあればすぐとまれます。車だと通り過ぎてしまいますから。とまって観察して、また走り出す感覚がとても良いです。

雨のときは少し困りますが、車にのっていた頃の苦しさがなくなりました。

なに不自由なかったのに、やはり事務所として独立してからはそうもいかなくなりました。
遠くの現場へ行くときもありますし、とにかく早く目的地へ行く必要が出てきました。

で、スーパーカブ90を購入したというわけです。
以前はオフロードバイクに乗ってましたし、四国や九州はひとりでまわってきました。
でも乗らなくなってからずいぶんたちますからリハビリが必要なんですね。

昔、亀のようなスピードで走るバイク乗りの女の子の漫画がありましたが(タイトルを思い出せない)まるであれです。

乗っていると、だんだんツーリングへ行っていた頃のことをからだが思い出してきました。暖かくなったら走りに行こうと思います。(でも、カブなんだ・・・)


うさぎ 紙粘土でつくった うさぎ

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